2021
Fragment Gummi​​​​​​​
1977年5月、山形県初の分譲マンションが鉄砲町の山形交通株式会社本社の北側に完成した。しかし県民の指向に合わず、山形市内の空き室マンションが市の社会問題となった。その後1980年7月頃にマンションブームが到来し県民の指向は一変する。1990年には第二次マンションブームが到来し、現在は第三次マンションブームと呼べる程の売れ行きで、マンション人気は山形で高まりを見せていた。
山形駅前では1970年代後半から1990年代にかけて、カラフルなビルが駅前のメインストリートに立ち並ぶ。しかしこのビル群については、見た目とは裏腹に建築物内部の設備の粗雑さが問題視されていた。そしてその当時の山形市中心部では大型商業施設が活気を見せる。
現在、山形駅東口の玄関先に広がる駐車場は、今から20年ほど前まで山形ビブレビルが建っていた場所である。1973年に開店した山形ビブレビルは、駅前の景気低下に伴い2000年1月に閉店し、ビルへの入居希望者が現れなかったため2000年9月に解体された。
 
これまで市民が思い出を作った場所の跡は、大体の市民が足を踏み入れる機会がないような場所へ刻々と変わっていっているような気がする。
私は思う。現存するありのままの土地の姿というものは、街での断片的なアーカイブとして各人の記憶を呼び起こしているのではないか。そして建造物の老朽化とも言えるひび割れや欠片に対して、山形という街での長い年月の間で、もしかしたらあったであろうそのアンソロジーに憧憬した。
もしも街のひび割れや欠片を型にして作られたグミがあったならそれはどんな食感で、どのように目に映るのだろうか?そんなことを妄想しながら、私の眼前にあるこの欠片を修復し老朽化した建造物の一時的な修復を試みることは、私にとってこの土地での一つの詩でありこの街のアンソロジーの一つとなり得るのかもしれないと考える。
建造物の老朽化の痕跡から街の歴史を辿れば、当時の山形市の賑わいやその懐かしい情景が見る人によって浮かび上がるだろう。そうした痕跡は同時に、現在の第三次マンションブームによる中心市街のベッドシティ化や、都市開発によるスクラップアンドビルドを待つ空き地の眠る土地化という、現代にまで及ぼす問題を示しているものでもあるのではないだろうか。
Back to Top